溶融亜鉛めっきの歴史

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■ 溶融亜鉛めっきの歴史

溶融亜鉛めっきは1742年フランスの科学者P.J.Malouinが発明したといわれ、実際の操業は19世紀中期にフランス及びイギリスで始められました。
日本においては1906年、官営八幡製鉄所で切り板の鍍金が行われたのが最初と言われています。
日本でもほぼ100年の歴史がある防錆法です。ただし当時は技術を暖簾分けするような形で引き継がれていったため、技術的な進歩が少なく、またこうした技術が世に出ることも少ないのが現状でした。
生産量も月産200~300t程度の規模で加熱方法も石炭が主流でした。

1950年から溶融亜鉛鍍金の国際会議が2~3年おきに開催され、溶融亜鉛鍍金に関する種々の研究や情報が広く発表されるようになり、これに伴い各国の研究機関の活動も活発になり、技術的な進歩が目立つようになってまいりました。
その研究内容は、溶融亜鉛鍍金の技術的なものから市場経済に関するものまで多岐にわたるものです。
またこの時期になると、溶融亜鉛鍍金に関する学術書も発刊され、日本でも翻訳出版されています。

日本でも1992年から、溶融亜鉛鍍金技術発表会が日本溶融亜鉛鍍金協会主催のもと開催されるようになり、アジア-太平洋溶融亜鉛鍍金国際会議(AGGA)も開催されるようになり、今日に至っています。

この20年~30年は設備上の改善が進み、自動化と共に釜サイズの大型化が進み、生産能力の増加と職場環境の改善に大きく寄与しています。

現在は、素材である鋼材の生産方式が変化に伴い、更なる低コスト化が求められてきています。
また鋼材自体も目的に応じた種々の鋼種が新たに開発されたことから、溶融亜鉛鍍金を取り巻く環境も著しく変化し、付着量の確保等の技術的な問題を含めた技術・生産体系の新たな確立が求められてきています。